未知谷の刊行物【国内文学】



 
ブランコ・ヴケリッチ 日本からの手紙
ポリティカ紙掲載記事(一九三三〜一九四〇)

ブランコ・ヴケリッチ / 山崎洋 編・訳
四六判上製304頁 3,000円(税別)
ISBN978-4-89642-206-1 C0098



表向きの顔は新聞記者――
1941年10月18日、いわゆる「ゾルゲ事件」
ソ連諜報機関員の一人として検挙され
網走刑務所で獄死したヴケリッチ
 
1933〜1940年までユーゴスラヴィアの日刊紙『ポリティカ』に
送られた日本に関する記名記事は、現在判明しているだけで56本
日ソ間の紛争を回避しようとする情報分析家の目は
的確に状況をとらえていた――
 
日本とその文化を愛し、造詣も深かった彼の筆は
ときにユーモアを交え珠玉の随筆に迫るものであった
初めてヨーロッパへ神秘の国の諸相を詳らかに伝えた
一連の記事全文、本邦初訳!
ブランコ・ヴケリッチ 獄中からの手紙』姉妹篇


目  次

はじめに「ブランコ・ヴケリッチとその時代」

1 一九三三年四月七日(金) ナマズが地震を予知
23 
2 一九三三年四月二十二日(土) 満州は日本の生命線
26 
3 一九三三年五月二十一日(日) 現代日本の矛盾――労働者は排外主義に夢中、貴族には共産主義が浸透
31 
4 一九三三年六月十一日(日) 桜の花咲く国、恋愛と母性は別
36 
5 一九三三年六月十八日(日) 今日の日本を支配する者はだれか
40 
6一九三三年六月二十二日(木) 太平洋の島、大島は自殺者の約束の地
42 
7 一九三三年八月二十二日(火) 日本、満州に経済進出
44 
8 一九三三年八月二十八日(月) 暑さと闘う日本人
49 
9 一九三三年九月二十六日(火) 東京全市が消灯するとき
52 
10 一九三三年十月十五日(日) 日本に強力なファシズム運動、救国家荒木将軍が指導
59 
11 一九三三年十月二十二日(日) 銀幕のキスシーンは禁止
66 
12 一九三三年十一月十二日(日) 日本の主要敵国はソ連邦
70 
13 一九三三年十二月三日(日) 東洋文化のルネッサンスは日本では不可能か
72 
14 一九三四年一月十四日(日) 東京、コントラストの町、恋の町
76 
15 一九三四年二月十日(土) リトヴィノフ、エリオ、ムッソリーニ、日本帝国主義の戦争準備を警戒
82 
16 一九三四年三月二十五日(日) 日本の農民、日本商品のダンピングを可能に
84 
17 一九三四年四月七日(土) 日本人は黄色人種か
91 
18 一九三四年四月十五日(日) 桜の花の咲くときに戦争に行くだろうか
95 
19 一九三四年五月六日(日) 日本、悲劇と桜の国
99 
20 一九三四年五月二十日(日) 花見の宴
104 
21 一九三四年五月二十七日(日) 開港八十年を迎えて
108 
22 一九三四年六月十八日(月) 東亜での日本の覇権か太平洋諸国同盟か
112 
23 一九三四年七月二日(月) 滞日二十五年のセルビア人、教え子には日本の大臣、将軍、外交官
119 
24 一九三四年七月九日(月) 日本人の家庭を訪ねよう
124 
25 一九三四年八月十九日(日) 鋭い刀も砲弾には勝てず
127 
26 一九三四年九月二日(日) 稲作王国の農業危機
133 
27 一九三四年九月十二日(水) 猛暑ゆえに日本の伝統がビーチに復活
138 
28 一九三四年九月三十日(日) 日本人はどちらがお好き、モガか古典的日本女性か
141 
29 一九三四年十月十四日(日) 日本は農業危機ゆえに国粋主義的な対外政策をとらざるをえない
146 
30 一九三四年十月二十一日(日) 帝国主義の日本、平和外交を主張
149 
31 一九三四年十月二十八日(日) 元老西園寺公あるうちは、軍国主義者は政治運営を握れない
154 
32 一九三四年十一月十一日(日) 日本人にはヨーロッパ的なものすべてが異国情緒に富む
159 
33 一九三四年十一月十八日(日) 自分の音楽を求める帝国
164 
34 一九三四年十二月九日(日) ユーゴースラビヤ王国、ユーゴー国、ユ国
169 
35 一九三四年十二月三十日(日) アメリカ産「ベースボール」が国民的スポーツへ、水泳は世界一だが、サッカーは弱い
173 
36 一九三五年一月十三日(日) 二百年前の吉原はヴェルサイユを除き愛と美を知る唯一の街だった
179 
37 一九三五年一月二十日(日) 日本は条約外の艦艇建造を続けずとも、すでに太平洋の実質的支配者
184 
38 一九三五年二月十七日(日) 生活はつましくとも、物質的な富より詩歌を貴ぶ
190 
39 一九三五年三月三日(日) 日本家屋は簡素で、家具や装飾はほとんどないが、自然に向かって開かれている
196 
40 一九三五年四月七日(日) 日中接近と中国の国内情勢
202 
41 一九三五年五月五日(日) 極東における欧米帝国主義と日本帝国主義の衝突
208 
42 一九三五年五月二十六日(日) 満州皇帝、天皇を訪問。赤軍への恐怖。独国のように焚書、英国のようにメーデー
213 
43 一九三五年六月二日(日) 日本、ロシア、中国の文化交流
218 
44 一九三五年十月六日(日) 日本では男女は別々の言葉を話す
222 
45 一九三五年十一月十五日(金) 極東に戦争の危険
224 
46 一九三六年五月二十四日(日) 東支の秩序と平和の擁護者は今や日本ではなくソ連邦である
229 
47 一九三六年九月十三日(日) 日本はスペイン内乱が欧州紛争を引き起こすことを望む、そうなれば中国、極東で行動の自由を得られると期待
236 
48 一九三六年十一月十五日(日) 欧州特派員の極東報道はマルコ・ポーロ以上の困難
242 
49 一九三六年十一月二十二日(日) 日本、対中外交攻勢で敗北を喫す
247 
50 一九三七年一月三日(日) 日本の独伊連合への参加は、英米露による「鉄の包囲陣」から脱出するため
252 
51 一九三七年一月四日(月) 鉄の対日包囲陣と日本の欧州ファシズム連合への参加
259 
52 一九三七年五月九日(日) 新聞記者は昔の日本では「階層なき者」に属したが、今日でも軍部官僚独裁のもと、地位は高くない
264 
53 一九三七年十月十七日(日) 北京近郊マルコ・ポーロ橋事件、亜細亜大戦へ発展か
267 
54 一九三八年十二月二十日(火) 日本は中国を征服したとみなしている
274 
55 一九四〇年九月八日(日) 露語を教えて滞日三十一年、ドゥシャン・トドロヴィッチ教授米国へ
281 
56 一九四〇年十一月十七日(日) 日本政府は軍の要請で工業化計画を実施、十年で国の経済社会構造を変革
283 
附 ヴケリッチ家のこと
291 

ブランコ・ヴケリッチ [Branko de Voukelitch]
1904年オーストリア=ハンガリー帝国オシエク市(現クロアチア共和国)に生まれる。パリ大学法学部卒業後、1933年ユーゴスラヴィアの日刊紙ポリティカ及びフランスの週刊誌ヴュの東京特派員として来日。1935年からフランスのアヴァス通信社東京支局に勤務。1940年1月山崎淑子と結婚、翌年3月、ラヴォスラヴ洋誕生。1941年10月リヒアルト・ゾルゲ主宰のソ連諜報機関の一員として検挙され、無期懲役の判決を受けて服役中、1945年1月網走刑務所で獄死。
 
山崎洋 [やまさき ひろし]
1941年ブランコ・ヴケリッチを父、山崎淑子を母として東京に生まれる。1963年慶應義塾大学経済学部卒業、ユーゴスラヴィアに留学。1970年ベオグラード大学法学部大学院経済学科修士課程修了。セルビア翻訳家協会会員。訳書にM.・ドルーロヴィチ『試練に立つ自主管理』(共訳)、E・カルデリ『自主管理と民主主義』、V・カラジッチ『ユーゴスラヴィアの民話 II セルビア英雄譚』(共訳)、I・アンドリッチ『サラエボの鐘』(共訳)、D・ミハイロヴィッチ『南瓜の花が咲いたとき』、ニェゴシュ『山の花環』(共訳)などがある。

小社刊の本書の姉妹篇
[ブランコ・ヴケリッチ 獄中からの手紙]


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ブランコ・ヴケリッチ 日本からの手紙
ポリティカ紙掲載記事(一九三三〜一九四〇)
ブランコ・ヴケリッチ/山崎洋 編・訳
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