『ツール100話』の書評

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コ ー ド
ISBN4-89642-079-9
書  名
ツール100話 ツール・ド・フランス100年の歴史
著  者
安家達也 著
書  評
タイトル
レースでたどる20世紀
評  者
駿河昌樹
フランス文学者
掲載誌紙
「北海道新聞」
2003年8月31日(日曜日)
ツール・ド・フランス。いわずと知れた、フランス一周の、あの有名な自転車レースだが、いきなりマニアを増やしてしまいかねない、危険な楽しい本が出てしまった。ロード競技のトレーニング書の翻訳で知られる著者が、仏独英にわたる多量の文献や資料をていねいに渉猟して書いた渾身の一冊である。レースのたび、なにが起こるかわからない展開、奇想天外にして、すべてが実話。ぶっ飛んでいるとしか言いようのないツールの歴史が、ゆたかな説得力をもって語られている。
ツールを発案したのは、新参の日刊スポーツ新聞「ロト=ヴェロ」。ちょうど百年前の1903年のことで、「何週間もかけてフランス中を巡る」レースを主催すれば、「私たちの新聞は何日もそれを記事にできる」という発想だった。2428キロにわたる長距離レースが、こうして開始される。優勝すれば、一般的な職人の九年分の年収にもあたる賞金獲得もありえたが、当初は、自転車交換もホイール交換も禁止、変速機も禁止、修理も選手本人によるのみ、という厳しい条件。ほぼ一カ月は拘束されるうえ、コースの先々での宿の予約も、列車でのトランクの輸送事務も自前。食べ物にいたっては、コース沿いの店で各自調達しながら走る。年ごと、殺人的なまでに困難な新コースが企画されるし、悪天候もフーリガンも容赦なく襲いかかる。どの年も事件や椿事満載で、展開のはやいバスター・キートンの喜劇映画でも見るようなぐあいだ。
あんなにもいろいろなことがあり過ぎた二十世紀なのに、その百年の歴史が、断固として、この過酷な自転車レースの視点からのみたどられていく。これが、なんとも爽快このうえない。ツールだけに集中して生きた人々も、それを追う著者の姿勢も潔く、まことにすがすがしいのだ。ひとつことに思いを込めて、脇目もふらず、シンプルかつストロングに生き切る。煩雑になるばかりの現代、われわれにほんとうに必要なのは、ごくごく単純、脇目もふらぬ、そんな、あっさりした生き方であるかもしれない。


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