『夕べ』の書評

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コ ー ド
ISBN978-4-89642-252-8
書  名
夕べ ヴェーチェル
著  者
アンナ・アフマートワ 著 / 工藤正廣 短歌訳・解説
書  評
タイトル
短歌へ横断するアフマートワの詩
評  者
川崎浹
ロシア文学者
掲載誌紙
「図書新聞」
2009年2月2日(月曜日)
アフマートワの処女詩集『夕べ』(一九一二年)の冒頭はこうだ。
「窓辺の月に祈る/青白く、細く、まっすぐに/朝から私は黙している/だが心はふたつに」
全十三行のうち最初の四行(一連)を私が直訳してみた。ロシア語のフォルムと響きが消えて、無惨に残るのは個々のイメージと意味だけ。翻訳詩でめったに成功した例がないのは日本語の宿命だろう。にもかかわらずこの深淵を軽々ととびこえたのが詩人アーティストの工藤正廣である。
アフマートワの詩とわかって頁を開きながらも、私はしばし日本歌壇の才能あふれる新人に出くわしたような奇妙な錯覚にとらわれた。ロシア語の原石と等価のものが、次の五七五七七の短歌形式のなかで、生々しい息吹とともに創出される。短歌という定型のストイシズムに縛められてこそ甦る力の「溜め」の不思議さ。
 
蒼ざめし月の光に祈るわれ今朝より黙(もだ)すこころ真ふたつ
 
「心真ふたつ」という以上アフマートワはせつない葛藤のさなかにいる。
彼女を思慕してくりかえし自殺をはかったグミリョフが彼女との結婚で想いをとげると、まもなく彼女を残してアフリカに半年も放浪する。結婚後のふたりには他者の介入を許さぬ事情があるらしく、麗人アフマートワの「心真ふたつ」の揺れ動きが至る所に見られる。
 
船は揺れ入江の春は銀の声今日も来たらずかのひとの手紙(ふみ)
虚ろ空透かし柳の扇はひろく妻となりしを悔やみて見挙(みあ)ぐ
待ちますと夢の崩れにわれ言えば地獄で会わんと嘯(うそぶき)し彼
 
実際、ふたりが離婚したのちグミリョフは二一年に逮捕、ソ連体制の「地獄」で銃殺される。アフマートワの親しかった詩人マンデリシュタムも三七年に収容所で亡くなり、グミリョフとの息子レフ(のちに著名な歴史学者)は二度もラーゲリに収容された。
夕べ』は個人的な愛の抒情詩と言いがかりをつけられながらも、世界大戦や革命の前夜に位置して、彼女の生と詩そのものが時代の予兆をひそませている。
 
墓地の場所探しもとめて明るきをきみは知らずや海辺も野辺も
病む夢にわれ楽園を思えどもわれらに無しと詰(なじ)りしきみは
 
マンデリシュタムに『時のざわめき』という時代の鏡があるが、『夕べ』にも「ハムレットを読み」と題する詩があり、古典に戻りながらも翻るのは「世紀」というマント。だれを指しているのやら「阿呆」もまた含蓄ふかく。
 
きみの言う尼寺へ去れさもなくば阿呆のもとへと嫁げ行けとぞ
王子のみかかる言辞(ことば)を吐くものとマント吹かれて流れよ世紀
 
夕べ』にはロシア語が併置されているが、付されていない詩もある。私は手元の三巻本の原文と工藤訳の短歌を逐一照合したが、氏の離れ業は言語や文学という虚言の領域すれすれに浮上する言霊のマジックであり、凡手のとおく及ぶところではない。
工藤氏にはパステルナークの多くの訳詩集と研究書があり、また江戸時代の文と絵をよくなす建部綾足の足跡を飄々とたどる秀逸な『片歌紀行』がある。それらを基礎に『夕べ』の訳が成り立つ。詩人と氏の出会い系解説もまた興あり。アフマートワには『夕べ』のあとに深化する詩集『数珠』や『白き群』がつづく。ぜひ工藤氏の斬新な手法による更なる訳出を切望したい。すぐれた虚言の領域にこそ読者を誘う望見(ぼうけん)と悦楽がある。


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